用語:「アプリオリ」「アイステーシス」

ハイデガー読書会に先立つ、用語解説。
網羅的に書くと終わらないので都度追記するスタイルで。
コメントは積極的にどうぞ。致命的な捉え違いの指摘も歓迎です(めちゃくちゃ歓迎です)。

今回は「アプリオリ」「アイステーシス」について。

アプリオリ

「先立つ」という意味。超越論的哲学(主にカント)の文脈だと、普通の認識(テレビがある、とかボールが丸い)に先立つ枠組みとしての認識のことを指します。「空間」とか「時間」とか、物を認識するための要件とも言える。
もう少し時代が下ると意味が汎化されて、「自明な」ことをさす言葉として使われます。
だからむしろ「経験的」と捉えると引っかかる場面もあるかも。

アイステーシス

訳語としては「感覚」「知覚」あたりですかね。
まず何と対置されるかというと「対象の認識」です。主観的な快/不快にフォーカスするときに使う言葉。
カントだと美術作品を見るときの話でよく出てきます(美学Aestheticsの語源でもある)。
純粋理性批判」では原初的な「知覚」としてのアイステーシスが、「判断力批判」にはがっつり美的判断の色が濃くなったものとしてこの概念が出てきます。

現象学では少し意味が転回されて、「知覚する営み」そのものをアイステーシスと呼びます(これは現象学という分野が、事物を「感覚する」ことと「意味を付与する」ことを厳密に分けることからくる意味の変化だと思っている)。
フッサールについて全体をまとめた方が話が早い気もしてきた)。

お待ちかねハイデガーにおいては、エポケー(=判断中止)の概念がフッサールからさらに拡大されたことを受けて、知覚経験ということの立場も変わっています。
すごくざっくりいうと(詳細は読書会で明らかにしたいことの一つ)、ハイデガーにおける「エポケーのようなもの」は、自分が世界の中の対象を見る作用(企投)であった認識が、自分が世界の中に投げ込まれる作用(被投)に変容することなのですが、ハイデガーにおけるアイステーシスは、その「世界を感触している」ときの「気分」のことだということができるようです(小林 2013)。

参考:
井面信行「「感性学」覚書」文学・芸術・文化/第 26 巻第 2 号/ (2015. 3)
https://kindai.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=14865&item_no=1&attribute_id=40&file_no=1

小林信之「秋来ぬと風の音にぞ─アイステーシスと生活世界」WASEDA RILAS JOURNAL NO. 1 (2013. 10)
https://www.waseda.jp/flas/rilas/assets/uploads/2013/10/1b7596e8f6fd605f69e8ff3bcf12a977.pdf